令和5年4月〜令和6年3月

市長の主な活動内容を写真と市長直筆のコメントにより紹介します

令和5年11月12日(日曜日) 足柄明神鳥居再建御披露目式典

足柄明神鳥居再建御披露目式典

市長挨拶

足柄明神鳥居再建御披露目式典

鳥居再建委員会・佐藤委員長挨拶(白鹿立像前)

足柄明神鳥居再建御披露目式典

鳥居くぐり初め

足柄明神鳥居再建御披露目式典

祠前での雅楽演奏

 令和5年11月12日(日)10時から、秋の深まりを感じる足柄坂(峠)の足柄明神本宮の地において「足柄明神鳥居再建(さいこん)」御披露目の式典が開催されました。足柄明神が足柄坂に戻られて150年という記念すべき年に、鳥居再建に心血を注いでこられた再建委員会の皆様をはじめ関係者皆様のご列席の下に、厳粛に催行されました。
 今回の鳥居再建の取組と御披露目式典の実施に当たりましては、「鳥居再建委員会」の委員長、佐藤廣理さんをはじめ関係者の皆様のご労苦とご尽力がありました。深く敬意を表します。

 足柄明神は『古事記』に記述があり、また、この地は『万葉集』にも「足柄の御坂」として詠まれるなど、この峠は東国と西国を結ぶ要衝であり、日本の歴史を語るうえで大変重要な意味を持つ地域であります。
 時代の変遷の中で、矢倉岳や苅野へと遷座され、1873年(明治6年)に本宮の地であるここ足柄坂に戻られました。
 今日まで、地元有志の方々の手によって、周辺の整備作業がなされ、平成22年には鳥居や案内板が、平成27年には白鹿立像が設置されました。
 また、昨年は玉垣にお名前が刻まれた「明治6年に、この地に再興した方々」の子孫も参加され、草刈りや鳥居の塗り替えなども行っておられます。

 この足柄明神は、南足柄にとってかけがえのない歴史的な財産であり、誇りであります。いや、日本の守り神でもあります。日本の誇りでもあります。
 古くから続く「地域の信仰や伝統・文化」を、今を生きる私たちが、しっかりと心と魂で確認し、肌で感じ、そして子々孫々、未来へつなぐ使命があります。その意味で、本日の「鳥居再建式典」は実に大きな意義を持つものであります。
 佐藤委員長さんをはじめ再建委員会の皆様は、きっと古(いにしえ)の人々の想いが皆様に宿る遺伝子に引き継がれ、皆様の魂に共鳴して揺り動いた証が本日の御披露目式典だと思います。

 今回の鳥居再建を契機に、先人が守ってこられた足柄明神をより多くの人々に知っていただき、そして訪れて、悠久の歴史に思いを馳せていただければ幸いです。
 今後も、大切な「足柄明神」を私達の心の拠り所として、そして、地域連帯の象徴として守り伝えていくことを願います。
 当日は、初冬を思わせる気温でした。地元のご婦人の方々が心を込めて甘酒のおもてなしをして下さいました。温かく美味しい甘さ酒が体と心に染みわたりました。
 
◎足柄明神鳥居を守り、伝える「再建委員会」の皆様を代表して挨拶なされた佐藤廣理委員長の挨拶を、後のためにも記載させていただきます。

 「足柄明神鳥居再建お披露目式に御来賓の皆様、関係者の皆様には大変ご多用な中 ご臨席頂きまして心よりお礼を申し上げます。
 足柄明神は時代の趨勢によりまして、一説には室町時代とも言われていますが、ここ足柄坂から正面に見えます矢倉岳山頂へと遷座されました。
 その後、苅野岩地区に遷座され、明治になりまして1873年、明治6年にここ本宮の地、足柄坂にお戻になられました。 
 本年は足柄坂にお戻りなられまして、150年という節目の年を迎えました。この記念すべき年に鳥居が再建されましたことは、言葉に言い表せない御神慮を感じざるを得ません。

 ご存知のように足柄明神は氏子組織を持たない崇敬社であります。鳥居の再建に当たりましては広く皆様方のご理解を頂くことが肝要かと思いますが、大変有難いことに地元、本村、関場、地蔵堂地区の皆様を始め多くの皆様に再建の趣旨をお汲み取り賜りまして、晴れて今日の日を迎えることができました。
 皆様方から賜りました多くのご奉賛に対しまして、重ね重ねのお礼を衷心より申し上げます。皆様のお力によって、立派に再建されました鳥居は、これから先、永く多くの人をお迎えすることになるでしょう。

 足柄明神は日本で最も古い歴史書「古事記」記されているように、景行天皇の命で東征したヤマトタケルノミコトから、坂東の地を守ろうと、ここ足柄坂で白鹿に化身しヤマトタケルノミコトに果敢に挑んだとされています。正に坂東の地を守ろうとした古代の英雄とも言えます。

 また、1336年南北朝時代の幕開けとなりました竹之下合戦では、ここ足柄峠に陣をはりました 足利尊氏軍と竹之下に陣を張りました新田義貞軍の戦いの攻防の様子を記した、梅松論にも足柄明神が記されています。
 このように古から足柄の産土神として、人々に崇敬されて参りました。この先も、未来永劫、地域の安寧と人々の幸せを見守って下さることでしょう。

 最後になりますが、足柄明神鳥居再建を機に古事記とかかわりのある足柄明神。万葉集に何集もの歌が詠まれている足柄坂。更級日記に記されている足柄山。そして、足柄山の金太郎。また、三浦半島まで眺望できる歴史と伝説、景観の地に多くの皆様がお運び頂くことを願いながら、お礼の言葉とさせていただきます。」

令和5年7月23日(日曜日) 市指定文化財 弘済寺の「木造地蔵菩薩坐像」の修理と一般公開

弘済寺「木造地蔵菩薩坐像」
弘済寺「木造地蔵菩薩坐像」
 令和5年7月23日(日)午後4時から、市の指定文化財「弘済寺の木造地蔵菩薩坐像」が修理を終え、開眼供養が行われました。
 市内弘西寺自治会にある「法雨山 弘済寺」のお堂には地蔵菩薩座像が安置され、「子育て地蔵」として古くから地域の方々に尊ばれ親しまれてきました。
 当日は、毎年恒例の「地蔵まつり」に合わせ、檀家の皆様をはじめ、多くの関係者の皆様のご参加のもとに、厳粛に盛大に開催されました。私もこの記念すべき場にお招きいただき、立会わせていただいたご縁に、感謝いたします。

 この地蔵菩薩像は、鎌倉時代末から南北朝時代の作と言われております。以来、700年余りにわたって、地域の皆様や特に子どもたちの健やかな成長を見守ってきた「子育て地蔵」であり、地域の皆様が今日まで大切に守り伝えてこられた、貴重な文化財であります。
 今回の修理は、およそ320年ぶりの修理ということで、2年に及ぶ修理の作業となりました。南足柄市は、市の指定文化財でもあり、修理の協力をいたしました。
 その修理の過程の様子を弘済寺のホームページで、誰もが目にできる映像や写真で貴重な記録として紹介しています。その映像の中で、お地蔵さんのお顔は、もともとの赤い下地に、後の時代の修理時に金箔をほどこしていますが、その金箔を剥がして本来の姿に戻すのか、あるいは剥がさないかという問題になったそうです。
 その時、住職は「今の姿がずっと拝んできた姿だから、親しみがあるので、このままの姿にしてほしい」とおっしゃっています。地域の皆様も同じ思いだと推察します。こうした背景を知ったうえで拝観いたしますと、これまでとはまた違った趣を感じることができます。

 また、新型コロナウイルス感染症によって、大変な毎日を過ごさざるを得なかった時期に、住職は「疫病退散」を祈願して修理されたことにもたいへん大きな意義があります。さらには、「大般若波羅密多経」600巻を新調され、転読法要による涼やかな風を感じて、人々の幸せをお祈りされました。

 古くから続く「地域の信仰や伝統・文化」を、今を生きる私たちが、しっかりと心と魂で確認し、肌で感じ、そして子々孫々、未来へつなぐ、本日の「開眼供養」と「地蔵まつり」は実に大きな意義を持つものであります。あらためて、住職ご夫妻と関係者皆様のふる里への思いに敬意を表します。
 何よりも、老いも若きも同じ地域で暮らす人々が、この地域の歴史と伝統の象徴ともいえるこの場所で、一堂に集い、顔をあわせて会話を交わし、同じ時間を過ごすことができる機会を設けられたことは、実に素晴らしいことだと思います。きっと、幾多の先祖もこの場に集っていらっしゃると感じました。

 令和5年1月、全ての修理を終えて、無事にお堂にお帰りになった地蔵菩薩ですが、本修理事業について記載された修理銘札と修理事業に寄進された多くの方々のお名前を記した巻物が地蔵様の胎内に納められました。木札の修理銘札は、ご住職が書かれ、巻物は奥様が書かれたそうです。お二人の修理事業への熱い思いが伝わります。
 今後も、この貴重な「木造地蔵菩薩坐像」を守り伝えて、皆様の心の拠り所であり続けますように、そして、この地域の皆様のご健勝と地域の連帯と発展を心から念願いたします。

令和5年6月3日(土曜日) 千津島観音堂 大開帳式典

千津島観音堂大開帳式典

市長挨拶

千津島観音堂大開帳式典

瀬戸 観音堂大開帳祭典委員長

千津島観音堂大開帳式典

ご本尊

千津島観音堂大開帳式典

ご本尊とお前立

 令和5年6月3日(土)午前11時から、千津島観音堂にて「33年に一度の「千津島観音堂 大開帳式典」が開催されました。
 ご本尊の一般公開は、「歴史上初めて」と聞いております。

 数年前から今日までの間、歴代の自治会長さんをはじめとする役員の皆様が準備をされて来られました。
 昨日と本日の朝も、台風による雨の中で、最後の準備を万端に進めてこられました。皆様のご労苦とご尽力に敬意を表します。
 そして、本日の式典が西村茂樹 自治会長、そして瀬戸良雄 観音堂大開帳祭典委員長をはじめとする役員の皆様の手によって無事に開催されました。
 式典が始まると観音さんに向ける皆様の厚く、熱心なお気持ちが通じたかのように、雨も上がってきました。

 私の母は、千津島出身で、私は千津島で生まれました。小さい頃から、お観音さんのお祭りによく来ていました。毎年、楽しみでした。千津島は私のふるさとです。
 私は、この記念すべき式典にお招きいただき、また、この歴史的な場に立会わせていただきましたご縁に、心から感謝申し上げます。お観音さんのお陰です。ありがとうございます。

 私が申し上げるまでもありませんが、千津島観音堂のご本尊は、およそ1000年以上にわたって、安産と子育ての観音様として、千津島のみならず、足柄平野一帯の人々に親しまれ、地域の皆様を見守ってこられました。そして、この地域の皆様が、今日まで大切に守り伝えてこられた貴重な文化財であります。

 室町時代以前から続くとされる「地域の信仰や伝統・文化」を確認し、直接肌で感じ、そして子々孫々、未来へつなぐ、本日のご開帳行事は実に大きな意義を持つものであります。あらためて、関係者皆様の郷土への思いに敬意を表します。
 千津島は、お観音さんのご加護と、そのお力でしょうか。歴史と伝統と文化の多くの下地が千津島にはあると思います。

 千津島の歴史的お宝の文化財と教育風土について四つ申し上げます。
 一つ目。千津島は、富士山の宝永噴火の前まで、酒匂川から豊富で良質な砂鉄を原料に、製鉄・鋳物産業が発展。砂や土を洗って砂鉄を選り分ける場所から「洗土島(せんどしま)」と言われました。千津島には、ものづくりの精神が生き続けています。
 二つ目。文命(中国の治水神・禹王)を守る村であります。江戸時代、「文命祭り」を主導した千津島村の名主・瀬戸 文右衛門と「文命祭り」の別当役の宝生院(1726年から1873年)の存在があります。
 三つ目。福沢諭吉との関わりです。
 明治維新・日本の近代化を急速に進めた、あの多忙な福沢諭吉が、少なくとも20数回、千津島を訪れています。それは、三田の慶應義塾の隣の龍源寺の住職・大島仁宗 師と親交が深く、その大島住職の隠居寺が天福寺であったからです。宿舎は名主の瀬戸文右衛門家でした。
 とは言え、なぜ千津島に足繁く訪れていたのでしょうか。慶応義塾大学でも研究した事績があるといいます。
 四つ目。福沢小学校についてです。
 福沢小学校第11代校長・井上 喜一郎 校長の時、昭和22年から25年、「社会科研究指定校」として、社会科の授業が全国随一のモデル校になり、全国から羨望の的になりました。全国から、毎年1000人規模の「千津島詣」で、ごった返した話は語りぐさです。
 遡って、大正4年12月には、千津島の男女青少年団によって「巡回文庫」が始まり、昭和4年1月11日に、千津島公会堂内で「昭和文庫」となりました。
 私は、それぞれ、そのように聞いております。

 このように、千津島には歴史、文化、教育の風土からして「場の力」があります。そして何より、本日、老いも若きも、同じ地域で暮らす人々が、この地域の伝統の象徴ともいえるこの場所で、一堂に集い、顔をあわせ、会話を交わし、同じ時間を過ごすことができる機会を設けられたことは、実に素晴らしいことであり、意義深いものがあります。
 これからも、この貴重な観音堂を守り伝えて、皆様の心の拠り所であり続けますように、そして、この地域の皆様のご健勝と地域の連帯と発展を心から念願いたします。

令和5年5月26日(金曜日) 岩原小学校創立50周年記念式典

岩原小学校創立50周年記念式典

市長挨拶

岩原小学校創立50周年記念式典

菴原校長

岩原小学校創立50周年記念式典

内田 創立50周年記念事業委員長

岩原小学校創立50周年記念式典

司会はスクールコーディネーター(兼)スクールサポートスタッフの安藤陽子さん

岩原小学校創立50周年記念式典

バルーンリリース

 令和5年5月26日(金)午後1時から、岩原小学校校庭にて「岩原小学校創立50周年記念式典」が開催されました。
 創立50周年記念事業委員長の内田 健人さんをはじめとする実行委員会の皆様、そして、菴原 典子 校長をはじめ教職員の皆様には、これまでの式典の企画・準備等、多大なご苦労がありました。多くの皆様のご尽力に敬意を表します。

 皆様ご承知のとおり、岩原小学校は、昭和49年4月1日、南足柄市の人口増加に伴って、当時の岡本小学校区の一部の地区を分離し創立された小学校であります。
 開校以来、半世紀にわたって伝統を築き、受け継いでこられました歴代の校長先生をはじめとする教職員の皆様、PTAや保護者の皆様、そして温かいご支援をいただいてきた地域の皆様方に対しまして、心から敬意を表し、感謝を申し上げます。
 幾多の皆様方のご尽力によって、今年3月の卒業生までで、4,197名の卒業生が巣立ち、それぞれ地域で、また社会の各分野にわたってご活躍されていることは、たいへん喜ばしい限りであります。

 今日までの50年間、卒業生、在校生はもとより、この岩原小学校の運営に関わってこられた全ての皆様の情熱あふれるご努力によって、この岩原小学校の特徴ある、そして特有の良き校風、良き伝統が育まれてまいりました。
 そして今もなお、将来に向かって、地域の皆様に温かく支えられながら岩原小学校は成長を続けております。

 ここ数年来、岩原小学校では「みんなが互いの応援団」というキャッチ フレーズが児童・保護者・教職員・地域の皆様方の間での合言葉になっており ます。
 応援の仕方は、人それぞれに異なりますが、児童をはじめ岩原小学校に関係するすべての人々が、ご自分のできることを通して励まし合い、高め合い、支え合う学校づくりを進めていくという姿勢は、実に尊いものであります。
 この熱く、尊い姿勢は、必ず長く後世に引き継がれてまいります。

 私たちの責務は、「未来に何を残せるか」ではなく、「未来に向けてどの ように子どもを育み、送り出すことができるか」であります。まさしく、教育は国家百年の計であり、最重要の取組であります。
 子どもたちは、いうまでもなく親御さんにとって大切な宝でありますが、同時に地域にとって、そして南足柄市にとっても、お一人お一人が大切な宝であります。
 今後も引き続き、南足柄市の将来を担う子どもたちの教育を最重要課題として取組み、子どもたちの成長を見守ってまいりましょう。
 岩原小学校に関わり合い、つながる皆様とともに、未来を担う子どもたちが豊かな人間性を育み、逞しく成長するための「教育環境づくり」に、努力してまいります。

 校庭でのイベントのフィナーレは、バルーンリリースでした。児童が350個の風船(環境にやさしい素材の風船)に夢と希望を載せ大空高く飛ばしました。すると不思議に、胸が熱くなり涙が浮かびました。参加された皆さんも同じ想いだったと思います。

 学校は、小学校は、「ふるさと」そのものであります。
  ・緑豊かな ふるさと
  ・君も 僕も あなたも ここで生まれた
  ・この町で あなたに出逢えて よかった
  ・みんなで 力あわせて 生きてきた
  ・友よ 君に逢いたい
  ・ふるさと 未来へ続け
  ・岩原小学校 未来へ続け
 おめでとうございます。

令和5年5月26日(金曜日) 南足柄小学校創立150周年記念式典

南足柄小学校創立150周年記念式典

市長挨拶

南足柄小学校創立150周年記念式典

守屋校長

南足柄小学校創立150周年記念式典

新谷 創立150周年記念事業委員長

南足柄小学校創立150周年記念式典

鮫島 PTA会長

南足柄小学校創立150周年記念式典

南小愛校会から校旗の贈呈

 令和5年5月26日(金)午前9時30分から、文化会館大ホールにて「南足柄小学校創立150周年記念式典」が開催されました。
 私も卒業生です。1年4組 呉地 愛子 先生のクラスで入学し、笠間 松雄 先生、瀬戸 惣太郎 先生の担任を経て、6年2組 野地 増夫 先生のクラスで卒業しました。

 創立150周年記念事業委員長の新谷 英梨佳さんをはじめとする実行委員会の皆様、南小愛校会の皆様、そして、守屋 亜津砂 校長をはじめ教職員の皆様には、これまでの記念式典の企画・準備等に多大なご苦労がありました。
 また、南小愛校会は卒業生や市民の皆さんの熱い想いをこめて校旗を新調しました。当日は、愛好会を代表して下田 実さんと中村 進さんが守屋校長に贈呈されました。
 様々なお立場の多くの皆様のご尽力に敬意を表します。
 
 皆様ご承知のとおり、南足柄小学校は明治6年5月5日に「化源館」と称し開校しました。「化源館」の名付け者(親)は不明のようですが、初代校長の儒学者の松隈 謙 校長と思われます。
 「化源館」の意味は、「人間を磨き、成長の源泉たらん」であります。さしずめ、現代流にいえば「人材開発センター」でしょうか。
 明治5年の「学制発布」の骨子は、
 (1)近代産業に役立つ「実学主義」の教育を表明した。
 (2)国民平等、男女別なく、すべての国民を対象にした。
 (3)人口600人当たり1小学校区を基準に小学校を創設。
 というものだったと承知しています。

 校長は、3代にわたり小田原藩士出身者でした。4代目の関野 惣太郎、5代目の関野 光之助から地元出身者となり、地域密着の学校となりました。
 以来、明治・大正・昭和・平成・令和と五つの時代をまたいで、150年もの長きにわたり輝かしい歴史と伝統を築いてきました。
 3回の校舎の移転、変遷があります。いずれも開校日は5月5日です。意味深いものがあります。
 龍福寺で約10年。関本551番地の現在の「消防団の詰め所」の裏当たりですが、約40年。その後、第5代校長 関野 光之助のときに、現在の関本400番地に移り、100年の歴史を刻みます。関野 光之助は、「貧しい村 南足柄の教育王」と言われました。
 こうした変遷の中で、歴代の校長先生をはじめとする教職員の皆様、PTAや保護者の皆様、そして温かいご支援をいただいてきた地域の皆様方に対しまして、心から敬意を表し、感謝を申し上げます。

 幾多の皆様方のご尽力によって、今年3月の卒業生までで、12,046名の卒業生が巣立ち、それぞれ地域で、また社会の各分野にわたってご活躍されていることは、たいへん喜ばしい限りであります。
 今日までの150年間、卒業生、在校生はもとより、この南足柄小学校の 運営に関わってこられた全ての皆様のお力で、この南足柄小学校の特徴ある、そして特有の良き校風、良き伝統が育まれてきました。
 そして今もなお、将来に向かって、地域の皆様に温かく支えられながら南足柄小学校は成長を続けております。

 私たちの責務は、「未来に何を残せるか」ではなく、「未来に向けてどのように子どもを育み、送り出すことができるか」であります。まさしく、教育は国家百年の計であり、最重要の取組であります。
 子どもたちは、いうまでもなく親御さんにとって大切な宝でありますが、同時に地域にとって、そして南足柄市にとっても、お一人お一人が大切な宝であります。
 今後も引き続き、南足柄市の将来を担う子どもたちの教育を最重要課題として取組み、そして子どもたちの成長を見守ってまいりましょう。

 校歌の歌詞にもなっている「進取の気象」という言葉は、「従来の考え方に捉われず、積極的に新しい物事に取り組んでいこうとする気質」を示す言葉であり、校訓として脈々と受け継がれています。
 南足柄小学校に関わり合い、つながる皆様とともに、未来を担う子どもたちがこの校訓を胸に、豊かな人間性を育み、逞しく成長するための「教育環境づくり」に、努力してまいります。

 学校は、小学校は、「ふるさと」そのものであります。
  ・緑豊かな ふるさと
  ・君も 僕も あなたも ここで生まれた
  ・この町で あなたに出逢えて よかった
  ・みんなで 力あわせて 生きてきた
  ・友よ 君に逢いたい
  ・ふるさと 未来へ続け
  ・南足柄小学校 未来へ続け
 おめでとうございます。

最終更新日:2024年03月26日

この情報に関するお問い合わせ先

秘書広報課 秘書班(秘書)

電話番号:0465-73-8000


この情報についてのご意見・ご感想をお聞かせください!

このページの内容は役に立ちましたか?
このページの内容は分かりやすかったですか?
このページは見つけやすかったですか?
  • システム上、いただいたご意見・ご感想に対する回答はできません。
    回答が必要な内容に関しましては、お問い合わせ先の担当課まで直接お願いいたします。
  • 住所・電話番号等の個人情報については記入しないようお願いいたします。
  • 文字化けの原因となる、丸付き数字などの機種依存文字や半角カタカナは記入しないようお願いいたします。
南足柄市役所  〒250-0192 神奈川県南足柄市関本440番地  電話:0465-74-2111(代表)

Copyright © City of Minamiashigara, All Rights Reserved.