令和7年4月〜
市長の主な活動内容を写真と市長直筆のコメントにより紹介します
令和7年10月19日(日曜日) 大雄山線開業100周年記念式典
伊豆箱根鉄道株式会社・伍堂代表取締役社長 挨拶
南足柄市長 挨拶
会場の様子
最乗寺・増田友厚山主様揮毫による装い新たな「駅名看板」除幕式
ようやく秋めいてきた令和7年10月19日(日)午前9時15分から、大雄山駅広場にて「大雄山線開業100周年記念式典」が、多くの関係皆様のご参列の下、盛大に開催されました。南足柄市民を代表して、万感の思いを込めて心からお祝いを申し上げました。
大雄山線の歴史につきましては、皆様ご承知のとおりです。
神奈川新聞は、元日から特集記事で紹介していました。
大雄山線は、1925年、大正14年10月15日の開業以来、地元唯一の鉄道として、地域の社会経済の発展に多大なるご貢献をされてこられました。深く感謝申し上げます。
大正14年の開業当時、最乗寺の参詣・参拝のお客様は、東京方面からは御殿場線松田駅、静岡方面からは同じく山北駅で下車し、10キロ近い道のりを徒歩や馬車などで移動しておりました。小田原駅からはさらに長い道のりで、大変不便でした。
そのため最乗寺への鉄道建設は、大雄山最乗寺に詣でる多くの人々の熱い思いであり、悲願でありました。そして、建設に当たっては、最乗寺さんが実に多大なご支援とご協力をなされました。
そうした背景の中で誕生した大雄山線ですが、その後、昭和9年には富士写真フイルム株式会社の創業と今日に至る富士フイルムの発展があります。加えて、昭和9年は、丹那トンネルが開通し、東海道線が小田原駅を通ることになりました。利用客も大幅に増加しました。
現在も、最乗寺への参詣・参拝のお客様の足として、また、南足柄市民はもとより、市内外の皆様の通勤・通学や生活の足として、多くの皆様に愛され、利用されております。
南足柄市の発展は、大雄山線の存在無くして語ることはできません。心から感謝申し上げます。
大雄山線は、昭和48年に日本で初めてシルバーシートを導入するなど、実に先進的でありました。近年においても、大雄山駅の発車メロディーを童謡「金太郎」に変更するとともに、様々なカラーリングの車両の誕生、さらには、多くの企業とのネーミングライツの締結など、常に新たな取組を続け、進化しておられます。
南足柄市民にとって大雄山線は、いつでもそこに走っているのが当たり前であり、一人ひとりに大雄山線の思い出が沢山あります。まさに私たちの日々の生活に溶け込んだ存在になっております。私も子どもの頃の大雄山線、学生だった頃の大雄山線を思い出しております。
大雄山線が80周年を迎えた20年前、市の広報紙で大雄山線の特集を組みました。そこに当時の職員が作った一つの「詩」が載っています。その一節を紹介します。
終点のまち 南足柄
寄り道ではなく 行き先のまち
そこには一本の単線が走る
12分に一度 必ずやってくる
空気のようなものだから ありがたいとも思わない
雪でも嵐でも 当然やってくると疑わない
ありがたいとも思わない 空気のようなものだから
年代に関わらず、この想いが多くの人々の共通の感覚であり、無意識の中にある信頼感です。難しい理屈ではなく、この感情と意識こそが、誰しもが大雄山線が好きで、大雄山線を愛する理由なのだと思います。
そしてまた、その信頼の裏には、私たちの目には見えないところで、多くの関係者の皆様の大変なご努力やご労苦がおありだと思います。あらためて、心から敬意を表し、感謝を申し上げます。
開業100周年と昭和100年の時代の流れの上に立って、次の新たな100年に向け、ご出席の企業、事業者の皆様と手を携えて、共存共栄、共に発展の歩みを進めてまいりましょう。
伊豆箱根鉄道株式会社と大雄山線の限りないご発展、さらには大雄山最乗寺のご繁栄と市内企業のご発展を願って、お祝い申し上げます。
大雄山線の歴史につきましては、皆様ご承知のとおりです。
神奈川新聞は、元日から特集記事で紹介していました。
大雄山線は、1925年、大正14年10月15日の開業以来、地元唯一の鉄道として、地域の社会経済の発展に多大なるご貢献をされてこられました。深く感謝申し上げます。
大正14年の開業当時、最乗寺の参詣・参拝のお客様は、東京方面からは御殿場線松田駅、静岡方面からは同じく山北駅で下車し、10キロ近い道のりを徒歩や馬車などで移動しておりました。小田原駅からはさらに長い道のりで、大変不便でした。
そのため最乗寺への鉄道建設は、大雄山最乗寺に詣でる多くの人々の熱い思いであり、悲願でありました。そして、建設に当たっては、最乗寺さんが実に多大なご支援とご協力をなされました。
そうした背景の中で誕生した大雄山線ですが、その後、昭和9年には富士写真フイルム株式会社の創業と今日に至る富士フイルムの発展があります。加えて、昭和9年は、丹那トンネルが開通し、東海道線が小田原駅を通ることになりました。利用客も大幅に増加しました。
現在も、最乗寺への参詣・参拝のお客様の足として、また、南足柄市民はもとより、市内外の皆様の通勤・通学や生活の足として、多くの皆様に愛され、利用されております。
南足柄市の発展は、大雄山線の存在無くして語ることはできません。心から感謝申し上げます。
大雄山線は、昭和48年に日本で初めてシルバーシートを導入するなど、実に先進的でありました。近年においても、大雄山駅の発車メロディーを童謡「金太郎」に変更するとともに、様々なカラーリングの車両の誕生、さらには、多くの企業とのネーミングライツの締結など、常に新たな取組を続け、進化しておられます。
南足柄市民にとって大雄山線は、いつでもそこに走っているのが当たり前であり、一人ひとりに大雄山線の思い出が沢山あります。まさに私たちの日々の生活に溶け込んだ存在になっております。私も子どもの頃の大雄山線、学生だった頃の大雄山線を思い出しております。
大雄山線が80周年を迎えた20年前、市の広報紙で大雄山線の特集を組みました。そこに当時の職員が作った一つの「詩」が載っています。その一節を紹介します。
終点のまち 南足柄
寄り道ではなく 行き先のまち
そこには一本の単線が走る
12分に一度 必ずやってくる
空気のようなものだから ありがたいとも思わない
雪でも嵐でも 当然やってくると疑わない
ありがたいとも思わない 空気のようなものだから
年代に関わらず、この想いが多くの人々の共通の感覚であり、無意識の中にある信頼感です。難しい理屈ではなく、この感情と意識こそが、誰しもが大雄山線が好きで、大雄山線を愛する理由なのだと思います。
そしてまた、その信頼の裏には、私たちの目には見えないところで、多くの関係者の皆様の大変なご努力やご労苦がおありだと思います。あらためて、心から敬意を表し、感謝を申し上げます。
開業100周年と昭和100年の時代の流れの上に立って、次の新たな100年に向け、ご出席の企業、事業者の皆様と手を携えて、共存共栄、共に発展の歩みを進めてまいりましょう。
伊豆箱根鉄道株式会社と大雄山線の限りないご発展、さらには大雄山最乗寺のご繁栄と市内企業のご発展を願って、お祝い申し上げます。
令和7年9月27日(土曜日) 中部公民館開館30周年記念事業の開催
中部公民館開館30周年記念事業 開会式
市長挨拶
記念コンサート「マジェスティーウィンドシンフォニー」
利用団体発表「南足柄ジュニアコーラス」
利用団体発表「ウイングス南足柄太極拳」
利用団体作品展示
利用団体作品展示
令和7年9月27日(土)午前9時から、中部公民館にて「中部公民館30周年記念事業」が開催されました。中部公民館で活動されている各種団体の皆様の手作りの記念事業です。ようやく秋の気配を感じ始めた気候の中、市民の皆様をはじめ各種団体の皆様など約600人もの大勢のご来場者でにぎわいました。
中部公民館は、地域の皆様の熱い要望を受けて、平成7年5月25日に念願の開館となりました。
本市の公民館構想については、昭和56年、今から44年前に、中央公民館1館、地域公民館3館を整備することを定めました。地域公民館としては、昭和57年に福沢公民館、現在の福沢コミュニティセンターが開館し、昭和59年には、岡本研修会館、現在の岡本コミュニティセンターが開館しました。そして、中部公民館が開館したのであります。
中部公民館は、市民の皆様の生涯学習活動を支援する大切な拠点施設として今日を迎えました。
記念事業のオープニングは、満席のご来場の皆さんがお待ちかねの「マジェスティー ウィンド シンフォニー」の皆さんのコンサートでした。皆さんは、創立当初から中部公民館を拠点として活動されてきました。
マジェスティー ウィンド シンフォニーの皆さんと会場の皆さんが一体となって手拍子や拍手で大盛り上がりでした。また、常日頃の活動で中部公民館を利用されている各種団体の皆様の活動の発表が11団体、展示が9団体で盛りだくさんでした。皆さんが趣向を凝らし見ごたえのある発表と展示でした。
市民の皆様の文化、芸術、芸能の活動、さらには、教育活動や産業活動など、全てが南足柄市の文化であります。
文化は「社会を映す鏡」であり、南足柄市の品格であります。
今後も、市民の皆様の生涯学習活動を支援し、共に学びあい、ふれあいの輪を広げて、心豊かに健康で幸せなウェルビーイングのまちづくりを市民の皆様と一緒に進めてまいりましょう。
中部公民館は、地域の皆様の熱い要望を受けて、平成7年5月25日に念願の開館となりました。
本市の公民館構想については、昭和56年、今から44年前に、中央公民館1館、地域公民館3館を整備することを定めました。地域公民館としては、昭和57年に福沢公民館、現在の福沢コミュニティセンターが開館し、昭和59年には、岡本研修会館、現在の岡本コミュニティセンターが開館しました。そして、中部公民館が開館したのであります。
中部公民館は、市民の皆様の生涯学習活動を支援する大切な拠点施設として今日を迎えました。
記念事業のオープニングは、満席のご来場の皆さんがお待ちかねの「マジェスティー ウィンド シンフォニー」の皆さんのコンサートでした。皆さんは、創立当初から中部公民館を拠点として活動されてきました。
マジェスティー ウィンド シンフォニーの皆さんと会場の皆さんが一体となって手拍子や拍手で大盛り上がりでした。また、常日頃の活動で中部公民館を利用されている各種団体の皆様の活動の発表が11団体、展示が9団体で盛りだくさんでした。皆さんが趣向を凝らし見ごたえのある発表と展示でした。
市民の皆様の文化、芸術、芸能の活動、さらには、教育活動や産業活動など、全てが南足柄市の文化であります。
文化は「社会を映す鏡」であり、南足柄市の品格であります。
今後も、市民の皆様の生涯学習活動を支援し、共に学びあい、ふれあいの輪を広げて、心豊かに健康で幸せなウェルビーイングのまちづくりを市民の皆様と一緒に進めてまいりましょう。
令和7年8月15日(金曜日) 終戦後80年記念南足柄市戦没者慰霊祭
令和7年8月15日(金)午前11時30分から、暑い陽射しの中、市内の玉伝寺において、「終戦後80年記念南足柄市戦没者慰霊祭」が仏教会の皆様のご支援とご協力のもと、南足柄市遺族会の主催によって挙行されました。
来賓として次のように追悼の言葉を申し上げました。
「先の大戦で散華された四百七十余柱の英霊に対し、南足柄市民を代表して、謹んで哀悼の誠を捧げます。先の大戦では、三百万余の我が国同胞の皆様が犠牲となりました。とり分け、思い出多いふるさとに父母(ちちはは)を、いとしい妻を、我が子を残して戦地へ赴き、最愛の家族を案じ、祖国のために遠い異国の戦場で、多くの方々の命が失われました。戦没者のご心情とご無念を思うとき、深い悲しみが胸に迫ってまいります。
全ての御霊の安からんことを心よりお祈り申し上げます。
また、最愛の肉親をなくされたご遺族の皆様には、決して癒されることのない深い悲しみに耐え、長い苦難の道を乗り越えてこられました。ご遺族の皆様のご労苦に対し、深く敬意を表します。
戦争は罪のない人々の命や、穏やかな日常、未来への希望さえも奪ってしまいます。そのことを、決して忘れてはなりません。
今日、我々が享受している平和と繁栄は、戦没者の方々の計り知れない尊い犠牲、そして、戦後の混乱と困難の中で、国の再建と地域社会の復興に尽力された人々の、80年間にわたるたゆみない努力の上にようやく築き上げられたかけがえのないものであります。
身命を賭して国の行く末を案じ、散華された戦没者の思いと、戦後の混乱と苦難の中にあっても希望を失わず、未来を切り拓いてこられた幾多の人々の力強い歩みに、私たちは改めて、心からの敬意と感謝の念を捧げます。
しかし今、世界に目を向ければ、多くの地域で、武力衝突や戦争が続き、罪のない人々の命が奪われています。また、先日8月6日の平和記念式典で湯﨑広島県知事は、「法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、剥き出しの暴力が支配する世界へと変わりつつあり、私たちは今、この繁栄がいかに脆弱なものであるか痛感しています」と述べております。
こうした世界の実情を見るにつけ、平和とは決して当たり前のものではなく、常に崩れうるものであるという厳しい現実を私たちに突きつけております。
日本は唯一の戦争被爆国であり、戦争の悲惨さと平和の尊さを、身をもって知る私たち日本人だからこそ、他国の苦しみに対して想像力を持ち、対話と共生による国際社会の安定に貢献していく責務があると強く感じております。
戦後八十年の夏が暮れようとも、明日(あす)も、あさっても、いつでも常に平和をつないで行きたいと思います。戦没者の御霊の安らかなることを、そしてご遺族の皆様のご多幸とご健勝を心からお祈り申し上げ、追悼のことばといたします。」
来賓として次のように追悼の言葉を申し上げました。
「先の大戦で散華された四百七十余柱の英霊に対し、南足柄市民を代表して、謹んで哀悼の誠を捧げます。先の大戦では、三百万余の我が国同胞の皆様が犠牲となりました。とり分け、思い出多いふるさとに父母(ちちはは)を、いとしい妻を、我が子を残して戦地へ赴き、最愛の家族を案じ、祖国のために遠い異国の戦場で、多くの方々の命が失われました。戦没者のご心情とご無念を思うとき、深い悲しみが胸に迫ってまいります。
全ての御霊の安からんことを心よりお祈り申し上げます。
また、最愛の肉親をなくされたご遺族の皆様には、決して癒されることのない深い悲しみに耐え、長い苦難の道を乗り越えてこられました。ご遺族の皆様のご労苦に対し、深く敬意を表します。
戦争は罪のない人々の命や、穏やかな日常、未来への希望さえも奪ってしまいます。そのことを、決して忘れてはなりません。
今日、我々が享受している平和と繁栄は、戦没者の方々の計り知れない尊い犠牲、そして、戦後の混乱と困難の中で、国の再建と地域社会の復興に尽力された人々の、80年間にわたるたゆみない努力の上にようやく築き上げられたかけがえのないものであります。
身命を賭して国の行く末を案じ、散華された戦没者の思いと、戦後の混乱と苦難の中にあっても希望を失わず、未来を切り拓いてこられた幾多の人々の力強い歩みに、私たちは改めて、心からの敬意と感謝の念を捧げます。
しかし今、世界に目を向ければ、多くの地域で、武力衝突や戦争が続き、罪のない人々の命が奪われています。また、先日8月6日の平和記念式典で湯﨑広島県知事は、「法と外交を基軸とする国際秩序は様変わりし、剥き出しの暴力が支配する世界へと変わりつつあり、私たちは今、この繁栄がいかに脆弱なものであるか痛感しています」と述べております。
こうした世界の実情を見るにつけ、平和とは決して当たり前のものではなく、常に崩れうるものであるという厳しい現実を私たちに突きつけております。
日本は唯一の戦争被爆国であり、戦争の悲惨さと平和の尊さを、身をもって知る私たち日本人だからこそ、他国の苦しみに対して想像力を持ち、対話と共生による国際社会の安定に貢献していく責務があると強く感じております。
戦後八十年の夏が暮れようとも、明日(あす)も、あさっても、いつでも常に平和をつないで行きたいと思います。戦没者の御霊の安らかなることを、そしてご遺族の皆様のご多幸とご健勝を心からお祈り申し上げ、追悼のことばといたします。」
令和7年5月11日(日曜日) 南足柄市森林組合貯木場竣工祝賀会
市長挨拶
テープカット
令和7年5月11日(日)午前10時から、初夏の陽射しに湧き立つような新緑の中、南足柄市広町地先に完成した「森林組合貯木場」において、「南足柄市森林組合貯木場竣工祝賀会」が牧島かれん衆議院議員をはじめとする多くのご来賓のご臨席のもと盛大に開催されました。
森林組合にとっても南足柄市にとっても、長年の懸案でありました貯木場の完成は、本当に嬉しく思います。
森林組合と市が連携、協力して本日を迎え、ご同慶に堪えません。
この間、高橋宏通代表理事組合長をはじめ、関係者の皆様には、多大なるご苦労とご尽力がありました。心から敬意を表し感謝申し上げます。
本市は、市の面積の約7割が森林です。先人のたゆまぬご努力によって、かけがえのない豊かな森林資源として、現在まで受け継がれてきました。
南足柄市の森林は、戦後植林された人工林の多くが成熟した林齢となり伐期を迎え「主伐期」を過ぎている状況にあります。
本市の地域経済の活性化のためには、国の地方創生の政策などを誘導し、この豊かな森林資源を活用した林業振興を実現していくことが実に重要であります。
その実現が健全な森林づくりへと進むことになります。加えて、地球規模での環境対策としての水源かん養や大気保全、さらには防災対策としての土砂災害防止などの公益的機能をなお一層高め、充実させることにつながります。
こうしたことからしても、本市にとって林業を産業として復活、活性化することが、今日的な大きな課題であります。そして、林業の活性化のためには、貯木場が必要不可欠な施設であり、その完成を待ち望んでおりました。
貯木場が完成し、これからは、市産材が価値ある資源として有効に活用されることが期待できます。この貯木場が、本市の林業振興の重要な拠点として、大いに機能していくことを強く期待いたします。
南足柄市森林組合のますますの発展を願い、市と森林組合とが緊密に連携し、協同して林業の成長産業へ向けた取り組みを強力に進めてまいります。
森林組合にとっても南足柄市にとっても、長年の懸案でありました貯木場の完成は、本当に嬉しく思います。
森林組合と市が連携、協力して本日を迎え、ご同慶に堪えません。
この間、高橋宏通代表理事組合長をはじめ、関係者の皆様には、多大なるご苦労とご尽力がありました。心から敬意を表し感謝申し上げます。
本市は、市の面積の約7割が森林です。先人のたゆまぬご努力によって、かけがえのない豊かな森林資源として、現在まで受け継がれてきました。
南足柄市の森林は、戦後植林された人工林の多くが成熟した林齢となり伐期を迎え「主伐期」を過ぎている状況にあります。
本市の地域経済の活性化のためには、国の地方創生の政策などを誘導し、この豊かな森林資源を活用した林業振興を実現していくことが実に重要であります。
その実現が健全な森林づくりへと進むことになります。加えて、地球規模での環境対策としての水源かん養や大気保全、さらには防災対策としての土砂災害防止などの公益的機能をなお一層高め、充実させることにつながります。
こうしたことからしても、本市にとって林業を産業として復活、活性化することが、今日的な大きな課題であります。そして、林業の活性化のためには、貯木場が必要不可欠な施設であり、その完成を待ち望んでおりました。
貯木場が完成し、これからは、市産材が価値ある資源として有効に活用されることが期待できます。この貯木場が、本市の林業振興の重要な拠点として、大いに機能していくことを強く期待いたします。
南足柄市森林組合のますますの発展を願い、市と森林組合とが緊密に連携し、協同して林業の成長産業へ向けた取り組みを強力に進めてまいります。
令和7年5月9日(金曜日) 岡本小学校創立150周年記念式典
参加者全員での校歌斉唱
市長挨拶
渡辺校長
椎野 創立150周年記念事業実行委員長
鈴木 PTA会長
在校生を119年見守ってきた校庭のクスノキ
令和7年5月9日(金)午前9時から、岡本小学校体育館にて「岡本小学校創立150周年記念式典」が開催されました。
創立150周年記念事業委員長の椎野昌子さんをはじめとする実行委員会の皆様、そして、渡辺学校長をはじめ教職員の皆様には、今日までの式典の企画・準備等に多大なご苦労がありました。
多くの皆様のご尽力に敬意を表します。
岡本小学校は、明治8年5月5日に「日向館」という名で創立し、以来、学校の場所や校名の変更など、数々の変遷を経ながら、150年もの長きにわたって歴史と伝統を築いてきました。
開校以来、伝統を築き、受け継いでこられました歴代の校長先生をはじめとする教職員の皆様、PTA・保護者の皆様、そして温かいご支援をいただいてきた地域の皆様方に対しまして、心から敬意を表し、感謝を申し上げます。
幾多の皆様方のご尽力によって、今年3月の卒業生までで、約12,000人の卒業生が巣立ち、それぞれ地域で、また社会の各分野で活躍されていることは、大変喜ばしい限りであります。
今日までの150年間、卒業生、在校生はもとより、この岡本小学校の運営に関わってこられた全ての皆様の情熱あふれるご努力によって、この岡本小学校の特徴ある、そして特有の良き校風、良き伝統を育み培ってこられました。
学校の校庭には、1906年(明治39年)に植樹されたクスノキが119年間その歴史を温かく見守ってきました。長い間、多くの方々に大切にされ、太く高く、大きく育ったその姿は、まさにこの岡本小学校が築いてきた歴史の証であります。今もなお、将来に向かって成長を続けていく大切なシンボルとなっております。
私たち大人の責務は、「未来に何を残せるか」ではなく、「未来に向けてどのように子どもを育み、送り出すことができるか」であります。岡本小学校の学校教育目標は、「夢にむかって未来を拓くおかもとの子」であります。まさしく、教育は国家百年の計であり、最重要の取組であります。
子どもたちは、もとより保護者の皆様方にとって宝でありますが、同時に地域、そして南足柄市にとっても、大切な宝であります。
今後も引き続き、南足柄市の将来を担う子どもたちの教育、そして子どもたちの成長を大切にしてまいりましょう。
岡本小学校に関わり合い、つながる皆様とともに、未来を担う子どもたちが、豊かな人間性を育み、クスノキのように大きくたくましく成長していく 「教育環境づくり」に努力してまいります。
岡本小学校が創立150周年を契機に、ますます発展されますことを心から念願します。
学校は、小学校は「ふるさと」そのものであります。
・緑豊かな ふるさと
・君も 僕も あなたも ここで生まれた
・この町で あなたに出逢えて よかった
・みんなで 力あわせて 生きてきた
・友よ 君に逢いたい
・ふるさと 未来へ続け
・岡本小学校 未来へ続け
おめでとうございます。
創立150周年記念事業委員長の椎野昌子さんをはじめとする実行委員会の皆様、そして、渡辺学校長をはじめ教職員の皆様には、今日までの式典の企画・準備等に多大なご苦労がありました。
多くの皆様のご尽力に敬意を表します。
岡本小学校は、明治8年5月5日に「日向館」という名で創立し、以来、学校の場所や校名の変更など、数々の変遷を経ながら、150年もの長きにわたって歴史と伝統を築いてきました。
開校以来、伝統を築き、受け継いでこられました歴代の校長先生をはじめとする教職員の皆様、PTA・保護者の皆様、そして温かいご支援をいただいてきた地域の皆様方に対しまして、心から敬意を表し、感謝を申し上げます。
幾多の皆様方のご尽力によって、今年3月の卒業生までで、約12,000人の卒業生が巣立ち、それぞれ地域で、また社会の各分野で活躍されていることは、大変喜ばしい限りであります。
今日までの150年間、卒業生、在校生はもとより、この岡本小学校の運営に関わってこられた全ての皆様の情熱あふれるご努力によって、この岡本小学校の特徴ある、そして特有の良き校風、良き伝統を育み培ってこられました。
学校の校庭には、1906年(明治39年)に植樹されたクスノキが119年間その歴史を温かく見守ってきました。長い間、多くの方々に大切にされ、太く高く、大きく育ったその姿は、まさにこの岡本小学校が築いてきた歴史の証であります。今もなお、将来に向かって成長を続けていく大切なシンボルとなっております。
私たち大人の責務は、「未来に何を残せるか」ではなく、「未来に向けてどのように子どもを育み、送り出すことができるか」であります。岡本小学校の学校教育目標は、「夢にむかって未来を拓くおかもとの子」であります。まさしく、教育は国家百年の計であり、最重要の取組であります。
子どもたちは、もとより保護者の皆様方にとって宝でありますが、同時に地域、そして南足柄市にとっても、大切な宝であります。
今後も引き続き、南足柄市の将来を担う子どもたちの教育、そして子どもたちの成長を大切にしてまいりましょう。
岡本小学校に関わり合い、つながる皆様とともに、未来を担う子どもたちが、豊かな人間性を育み、クスノキのように大きくたくましく成長していく 「教育環境づくり」に努力してまいります。
岡本小学校が創立150周年を契機に、ますます発展されますことを心から念願します。
学校は、小学校は「ふるさと」そのものであります。
・緑豊かな ふるさと
・君も 僕も あなたも ここで生まれた
・この町で あなたに出逢えて よかった
・みんなで 力あわせて 生きてきた
・友よ 君に逢いたい
・ふるさと 未来へ続け
・岡本小学校 未来へ続け
おめでとうございます。
この情報に関するお問い合わせ先
秘書広報課 秘書班(秘書)
電話番号:0465-73-8000

