文化財(歴史資料)

南足柄市の文化財(歴史資料)のご紹介

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また、下記、関連情報リンク「南足柄市地理情報システム」に参考情報がありますので、ご覧下さい。

 文命堤築堤時関係資料
(ぶんめいてい ちくていじ かんけいしりょう)

所在地 怒田字渕ノ上1912番3地先、班目字小松原4番地先、怒田字渕ノ上1912番1
指定年月日 平成30年9月20日
平成31年1月24日(文命幟を追加)
管理者 福澤神社
指定
概要 5基・1体・1旒(りゅう)が一括指定されています。
文命堤及びその築堤に功績ある田中丘隅(休愚)と関係深い資料であり、
酒匂川の治水の歴史を後世に伝えるものです。
文命宮祠(ぶんめいきゅうし)

文命宮祠

文命宮祠(ぶんめいきゅうし)


 享保11年(1726年)に田中丘隅(たなかきゅうぐ)によって建立された祠です。関東大震災で倒壊し、その後放置されたと伝わり、平成20年、福澤神社移転に伴う文化財調査の際に発見されたものです。現在の台石、蓋石及び笠石は、山北町の文命西堤の文命宮を参考に復元されたものです。


文命東堤前碑(ぶんめいとうていぜんぴ)

文命東堤前碑

文命東堤前碑(ぶんめいとうていぜんぴ)

 
 文命宮とともに建立され、富士山宝永噴火後の惨状や治水の心構え、文命堤の由来、祭礼の創始などが刻まれています。田中丘隅の起こした文章が大岡忠相から将軍吉宗に上げられ、吉宗が荻生徂徠に相談せよと命じられ、徂徠が大幅に書き直しをしたものです。
 本件は文命東堤築堤の経緯と、石碑の名称の由来を詳しく後世に伝えるものです。


文命東堤後碑(旧碑) (ぶんめいとうていこうひ・きゅうひ)

文命東堤後碑(旧碑) 

文命東堤後碑(旧碑) (ぶんめいとうていこうひ・きゅうひ)

 
 文命東堤前碑の原文が刻まれているとされます。前半3分の2ほどの刻銘が前碑と酷似し、最後70字ほどが著しく異なっています。田中丘隅と荻生徂徠が互いにどのような内容を後世に残すべきと考えていたかを比較検討できる資料です。


文命大明神御寶前

文命大明神御寶前

文命大明神御寶前(ぶんめいだいみょうじんごほうぜん)


 刻銘にある寄進者・巳野庄次郎は、後に「蓑笠之助」と名を改めています。蓑笠之助は田中丘隅のもとで働き、大口・岩流瀬(がらぜ)土手締め切り御普請に従事した治水技術者集団をとりまとめる役を担っていたと考えられます。本件を寄進した人々は文命東堤築堤に直接かかわった人たちであり、文命東堤及び田中丘隅との直接的な関係性が非常に強い資料といえます。


水鉢

水鉢

水鉢(みずばち)


 刻銘から享保12年(1727年)に寄進されたと推測されます。寄進には班目村の住民が関わりを持っていたことを示すものといえます。


大口川丈地蔵尊

大口川丈地蔵尊

大口川丈地蔵尊(おおくちかわたけじぞうそん)


 田中丘隅が大口・岩流瀬(がらぜ)・吉田島・金手(かなで)・多古(たこ)・飯泉(いいずみ)に建立した六地蔵の一つと伝わっています。田中丘隅にまつわる伝承があり、地域の住民から永く大切に祭られてきた地蔵尊です。


文命幟(ぶんめいのぼり)

文命幟

文命幟(ぶんめいのぼり)

 文命宮(のちの福澤神社)建立の際、田中丘隅から千津島名主文右衛門に預けられ、文命宮の祭礼の際、掲げられたと伝わります。


神奈川県内自治体文化財ホームページリンク
 

最終更新日:2019年01月28日

この情報に関するお問い合わせ先

文化スポーツ課 文化スポーツ班(文化)

電話番号:0465-73-8062


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